日本で唯一のウラン鉱山が岡山県上齋原村(現:鏡野町)にあったのをご存知ですか?
※正確にはウラン鉱床ですが、聞き慣れない言葉なのでウラン鉱山と記載します
1955年(昭和30年)岡山県上斎原村の人形峠でウラン鉱床が発見されました。
原子力開発が注目されていたその時代、初めての国内で見つかったウラン資源でした。
1959年から採掘試験が始まりましたが、当時は危険性についての充分な説明がなされていなかったそう。
さらに鉱量も少なく、たった8年、1967年に閉山になりました。
1950~60年当時の人形峠
現在でも人口が少なく過疎化が進む地域ですが、当時から若い人は都会へ出て行く傾向にありました。
そこへ来て、日本で唯一のウラン鉱山ですから、ウラン饅頭やウラン音頭など当時はちょっとしたお祭り騒ぎだったようです。
しかし、そこで働く鉱員たちの労働状況は劣悪なものだったそうです。
当時は、「天然ウランだから大丈夫」と言われ、マスクもなしで働かされていたんですって!
(もちろん公社のお偉いさんたちは立派な防塵マスクを使用)
すると2年もたたないうちに、
- 疲れやすい
- 鼻血が出る
- 髪が抜ける
- 背中が痛い
- 胃が痛い
などの症状が出る人が多発!
そして今でも苦しんでいる人や、苦しんで亡くなっていった方が多数いらっしゃるようです。
当時は、採掘が始まった上齋原村から流れる吉井川に奇形の魚が増えたこともあり、近隣の村人は、「人形峠に行っちゃいけん!」と言っていたそう。
さらに・・・
ウラン鉱山閉山後の放射能トラブル
1988年に、200リットルドラム缶で約225万本分のウラン残土が岡山・鳥取両県の10数ヶ所に放置されていることが発覚しました。
その後何度も撤去運動が起き、幾分かは撤去されたようですが、まだたくさんの残土が現地に残ったままだそうです。
上斎原村は潤った
上斎原村には国からたくさんのお金が入りました。
しかし、採掘を反対していた上斎原村に隣接している奥津町には1銭も入りません。
原子力発電所がある地域と同じですね。
原子力発電所の建設に反対した隣町にはまったくの恩恵がないのに、何かあったときは隣接している市町村も同じくらいの被害を被るんです。
そりゃ文句も出ますよ。
結局、得るものと失うもの。
どちらが大きかったのでしょうか・・・。
上齋原村の観光地
- 本物の囲炉裏がある…うたたねの里いっぷく亭
- ウランガラス作り体験も…妖精の森ガラス美術館